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置き薬セールスをしていた男の話

N県の郡部で某製薬会社の置き薬セールスをしていた男の話。

彼は学生時代から社交的な男でスポーツマン。
如才のなさが田舎の人にも受けてけっこう良い成績を挙げていた。

ある日、彼がいつものようにセールスをしていて、飛び込みで入った家は大きな旧家だった。
主は県立高校の教諭で主の父、母、奥さんの3人が農業に従事しているという、よくあるパターンの兼業農家。
ここぞ!と持ち前の如才なさを発揮して彼は瞬く間に契約を取ったのだが、妙に気に入られてしまって、ついでに…と主人の将棋にしばらく付き合う羽目になった。

そこにお茶を持ってその家の娘さんが入ってきた。
清楚で整った顔立ちの、一見していいとこのお嬢さんという感じの彼女に彼はぼーっと見とれた。

それからというもの、彼は休みともなればなにかにつけて用事を見つけては足繁くその家に通った。
彼女の方もまんざらではなさそうで、また父親も彼のことを気に入っていたため、交際は順調に進んだ。
もちろん田舎のことゆえ、婚前交渉などとんでもない、噂でも立てられたら…
という風潮が強く交際は今時珍しいほどの清純なものだった。

そうこうしている内に、彼の営業成績の良さが認められ、彼に横浜の大きな支社に転勤の話がきた。
あわてて彼は娘を説き伏せ、父親に土下座して結婚の許しを貰うことにした。

父親は「願っても無いこと!」とあっけないほど簡単に許可してくれたのだが、娘の方は少し顔色が優れなかった。

いぶかしんだ彼は自分の車の中で「あんまり嬉しそうじゃないよね」と少し詰問調で娘に理由を聞いた。

すると彼女はぽろぽろと涙をこぼして
「実はわたし、自傷癖があって…結婚生活をうまくやっていけるかどうか不安でたまらないの」
とブラウスの袖をめくった。

そこには幾重にもわたって刃物で切りつけたために肉が盛り上がり、まるで新聞紙を丸めたような皺と引きつった傷が無数に刻まれていた。
さすがに彼も一瞬、言葉を失いましたが、うつむいて泣いている彼女を見れば生理的嫌悪感よりも、痛々しさや哀れに思う気持ちの方が強く、
「そんなことは二人で乗り越えよう!」と彼女を抱きしめた。

横浜の社宅での暮らしが始まった。
新婚ということで当然セックスの問題も重要な要素で、彼は心中密かに心配していたのだが、彼女は彼の願いどおり処女で、下世話な話だが彼はそのウブな反応にも充分満足していた。

しかし彼女は明るいところでは絶対に身体を許さない。
男はスケベな生き物だから、たまには明るいところでセックスを楽しみたいと思うこともあったのだが、彼女はそんなときは目に恐怖すら浮かべて彼を見つめるので、彼もそれ以上無理強いすることはできなかった。

そんなある夜、夫婦の夜の生活が終わって、彼女はシャワーを浴びに浴室に行った。
ふと、そこで彼のいたずら心がむくむくと頭をもたげた。
足音を忍ばせてシャワーを浴室のドアを開けてシャワーを浴びている彼女に抱きついた彼は、彼女よりも先に思わず悲鳴を上げた。

真冬であるにも関わらずシャワーは身を切るような冷水だった。
「なんで水なんだ!?」
と問いただしても
「…体が火照ってしまって…」
という言葉にそれ以上は負い目のある側としては追求できるはずもなく、
何となく釈然とせずにベッドに入った。

他にも彼女には妙な癖があった。
彼が寝苦しくて時折夜中に目覚めると決まって彼女がベッドに座って彼をじっと見つめているのだ。

少し薄気味悪くて
「なんでそんなに見つめるの?」
と聞いても
「いや、あなたの寝顔を見ていたくて」
と答える妻。

その他にも、彼が自分の誕生日に急な仕事で関西に出張になり、
「ごめん、俺の誕生日は来週に回してくれない?」
と電話して1泊2日の仕事を終えて家に帰ると、ダイニングテーブルには2日前に腕によりをかけて作ったと思しき、誕生日のご馳走がラップもかけられずに干からびていた。

彼はこのとき初めて自分の妻が恐ろしくなった。
少なからず精神の傾斜がおかしいと感じざるを得ない。
しかし医者に行け!というのもためらわれた。
彼女の田舎では精神科=社会生活不適合者というイメージが根強く、とても聞いてくれそうも無い。

仕方なく彼は自分と妻のストレスを和らげるためによかれと、つがいのオカメインコを飼い始めた。
彼女も喜んで世話をしているようで、彼もほっと一安心していた。

そんな折、また出張の命令がきた。
少し心配に思いつつも、まあ最近は落ち着いてきたようだからと彼は自分を納得させ
「出張に行くけど、風邪引くなよ。あとインコの世話も頼むよ」と出かけていった。

2泊の出張を終え、家に帰った。
妻は快活な笑顔で迎えてくれた。
よかった、彼は胸をなでおろした。

ふと窓辺を見ると鳥かごが空だ。

「あれ?インコは?」
「ごめんなさい。掃除しようとカゴをちょっと開けたら逃げてしまって…」
「ええ~っ!なんだよ!もう」
「…ほんとうにごめんなさい」

逃げたものを責めても仕方ない。
彼は自分を無理やりに納得させ、出張でたまった洗濯物の袋をもって洗濯機に向かった。
全自動の蓋を開けると妙な臭いが気になった。
鉄のような、生臭いような臭いだ。
記憶の底をたどってその臭いの心当たりを見つけたとき、彼の顔色は変わった。まさか…。

妻が夕食の買い物に出かけるのを待って、彼は台所の生ごみ入れをそっとのぞいた。

そこには首をねじ切られたインコが一羽、そして首を噛み千切られたもう一羽のインコが無造作に投げ込まれていた。


気づいた人もいるかもしれませんが、文中の「彼」とは実は私のことです。
妻とはこれが引き金になって別れました。
会社も辞めて、新宿の同業他社に転職しました。
別れて後は一切、妻やその親戚とは逢っていません。
電話番号も全て変えました。

でも、まだ時折、真夜中に電話がなります。
受話器の向こうでは女性が泣いています。
そして誕生日には玄関のドアの前に山盛りのご馳走が並べられているのです。
 
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